鼻歌まじりに酔っぱらう

お酒ではじょうずに酔えない

膝小僧あたりに開く穴のハナシ

幼稚園に2年間通った。


もちろん、とおい むかしのハナシ。


実質ひとつめの記事から早速お喋り気分で。


今回書くエピソードを話した友人からの 文章で見てみたいというリクエストにゆるりと応える意味もあります。


偶々迷い込んでしまった方 

のんびり、眺めてくださればと思います



◆ 



私は一人っ子で、幼稚園・保育園へ3年通う子が入園するくらいの時期 

九州のいちばん南の、県庁所在地とはいえ比較的街のなか(むしろ子供がほぼ住んでいないエリア)から

現 実家である同市内'THE住宅街‼︎'の地域に引っ越したという経緯があった。



遠方に住み、たまに会う従兄弟たちですら当時全員が5つ以上年上。

そこへ越すまでは、同年代の子供と日常的に遊ぶ事なく コミュニケーションといえる程度まで過ごす機会すらほぼ無かった。



そんな ほぼ全てがすごく新鮮に思える状態で幼稚園へ通うこと 

アレこそ 人生最初の難関だったのかな、と思い起こす。



とは言え どうやら子どもなりの紆余曲折を経たようで、いつの間にか真っ黒焦げ(ウチの母は考えが局所的に古臭い体育会系で 子供に日焼け止めなんぞ不必要!と…ハンパ無い黒さだった)に日焼けするくらい

まわりの子と遊びまわる日常は手に入れられたのだけど。



その 小学校へ入るまでのその'真っ黒焦げ女の子'だった時期。

私にちょっとした、くだらないけど 無視もできない

私自身にも何故だかわからない現象が起こり、その間母は困惑し続けた。



それは 帰り幼稚園のバスを降りるバス停ともなっている、近所のちっちゃな商店の前から

子どもの足でもほんの4〜5分ほどしか掛からない、どーんと直線の道の→竹藪をひだりにみた大きなカーブをたった一度曲がりトコトコ歩けばお家が見える、たったそれだけの道のりで起きる。




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ところで。

私の母は 「何でまだコレ取っといてるのか⁇」ってなアイテム…それも理由が独特すぎて誰も理解できないようなものを棄てず持ってる事があって



偶に取り出しては私が‘如何に聞き分けはよい癖に訳のわからないことを起こす子だったのか’を 小学生高学年くらいあたりになると既に、私に向かってよく熱弁していた。




リビングの片隅に 藤を編んだような小さめのタンスがいつまで経っても置いてあった、、、というか正しくは今もそのまま置いてあって

それには 幼稚園時代までの私の、「お出掛け着」ではない普段着る衣服が入っていた。



幼少時ならば'きちんと'全てのものを子ども部屋へ仕舞うのではなく、母からしても使い勝手のよい位置へ置いておく事は……まあウチのような家族ルールみたいなものが無くても成り立ってしまう人数、特に子どもが1人だけならば有りがちなのかな、と想像するのだけど。



その藤のタンスの2段目には、私がいつも好きで履いていた子ども特有のちょっと分厚目な 白だとか足元にキャラクターの絵柄のはいってる冬〜春先用タイツがぎっしり詰まっていたんだ。



ぎっしりする程沢山詰まってるのには訳がある。

広げてみると…殆どのものの片膝にあたる部分が穴あき状態なのだ(両ひざのやつもある)。



破れ続けて、増え続けた結果なのだ。



さっき書いたお店の前の送迎バスを降り おうちまで、見通しもよい

田舎とはいえ 住宅地、ごく普通に舗装された 特段障害も見当たらない

大きな石ころも転がってない道路のカーブの周辺で 



確率で言うのなら 

1週間5日中、最低でも2日はつまずに漫画のようにコケては膝を擦りむいていた。


最初は、あちゃー怒られる!とか

子供ってやっぱり 鈍臭いとバカにされたりする世界だから 

誰にもバレたくない!とか

何でコケちゃうんだろ……と、それなりに小さく落ち込むわけだが



そのうちもう慣れたもん状態。

どんと来い 今日も‼︎というような…

流血しまくろうが泣く事も皆無。



冬なら当然 膝から血は出てなくたってタイツは破れちゃう。





のちの母曰く「子ども用のかわいい、そういうアンタが履きたいっていう温かいタイツって 

大人のストッキングなんかよりずーっと高いのよ!

ほんともう、買う度 おろした日に‼︎ 膝だけ破って帰ってくるんだから(怒) タイツってね、片方破けたら縫えやしないし、それでもう そこ以外ピカピカでも着せられないのよお‼︎⁈(当たり前)」

って まるで昨日の事のように。

物事を大袈裟に言うのがスーパー大得意な母とはいえ


そうですよね…

ごもっとも……。



辛くも生地がちょっと擦れるくらいで済んだ時には、母は自身が「そんなタイプじゃないし」という理由で大っ嫌いな裁縫道具を嫌々取り出し父のボタンを変えるときと同じ様に 不機嫌そうに不機嫌なのに上手く繕ってくれていたのも思い出す。




多分 母なりの面倒だったわって思いがあるのだろう。何より嫌いな裁縫やらされたな、って恨みが 笑。


同時に 遅くに病気までしながら産んだ子供1人の母にとっては、絶対口ではそんなニュアンスはださないが

よいイメージの思い出がある箪笥なのだろうと娘は勝手に思っている。



我が家では、最終的な決定権は父がもつとしても

日常の大抵のことについては姉さん女房の母につよい決定権あり 

いい加減に、箪笥退かしたら?などと

もし父が言ったとしても(というか何度か言っていたけど) 

退かされることはまずあり得ない。



恐らく 最後に私が見たときと変わりなく今現在も、破けた洗濯済みのタイツ達と 私が通園の時着ていた衣服が詰まった小振りな藤の箪笥が 

たいして広くもないリビングに

もはやオブジェ化して変わらず置いてあると思う。


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それにしても、どうしてそこまで 同じ場所でコケまくったのか


それは友達と一緒でも、1人でも、関係なくコケたりコケなかったり 

でも継続してある程度定期的にコケ続ける……。



本当に原因がわからなかった。



母は、私が実は騒いだりおかしな踊りでもしながら帰ってるんじゃ無いかと 


いつかそれで車に轢かれでもしたら、と 本気で不安になり 



遂に帰宅時間を見計らい カーブすぐ横の仲良しの先輩奥様の御宅の庭の木の陰に潜み、私の帰宅の様子を観察したらしいんだけど

(それも結構笑えるよね! ウチの母のチャキチャキ振りは半端ないので、快く入れてもらってたらしいけど) 



実際の私は ごく普通に前を向いて歩いてて 

ごくごく普通に突然コケたそうな。



家族のなかで、どうやら私はとんでもなくアホな子だ、という事で落ち着いた。 



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ただ 

誰にも話したことはないんだけど

そのカーブには いま思えば ほんの少し不思議な雰囲気はあったんだ。



あと、車の運転でわかるんだけど 

そこを「カーブ」だと捉える人と「曲がり角」と捉える人に分かれてて

子供心にココって変なの、と思っていた(正式にはどちらなのか今も知らない)。



母が潜んだご近所さん宅はカーブの外側なのだけど 

内側は 私の帰宅の経路の左手をなぞる様に塀のつづく地区でも有数の(おうちそのものが豪邸とかではないが)敷地の広い御宅で。



カーブの付近は小さな森の様におおきな木が生い茂っていた。晴れた日には よくある'美しい風景'じゃなくごくありふれた田舎なりに、だけど 木漏れ日も凄く綺麗だった。



その塀あたりには 野良なのか半飼われてるのか、猫もいた。

いつもあうんじゃなく、たまに住人の方が庭で放してらっしゃるとき塀から出た顔を合わせ撫でたりする感じだったものの、とってもかわいい雑種犬も住んでいた。



そこだけ '説明のつく、特別変わった雰囲気'とまでいかない ただの近所でありつつ


友達にわざわざどう思う?って言う程でも無かったのだけど


その他の場所とすこし違う空気が流れていた朧げな記憶だけがずっとある。私にとっては、千と千尋のあの森の入り口みたいなおもいでだな。



私の地元はしないでも有数の高台、車さえあれば住みやすい評判が取り柄で

2011年以降 急激に家を建て移り住む人が増えたし地価も上がったらしい。

元々 私たちが秘密基地を作った空き地も 資材置き場もぜーんぶ住宅に変わっていってたんだけど



その、カーブの内側の御宅も敷地を狭め 土地の一部を売りに出されたらしく新築の家々が並び。

知らない人が住み ちっぽけな森も消え去り 風景自体が全く別のものになってしまったから。




その変化はどこか中途半端で 

感傷的になり切れない

たとえば 'のどかな故郷の山がなくなってリゾートに……'とかそんなんじゃなく。



ありふれた、誰にでもどこでもあるハナシ、ただの経年での変化でしかないをけれど私にはなぜか特別

そんなところが

何処か私の人生の原点らしいなとも思ったりするのです。 


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幼稚園時代あそこでコケ続けた私は、もしや何処か 体に原因があるのではとか 心配された時期もあったけれど



おかしなことに 

小学生になってもまた、そこを毎日通る訳だが 

まったく、1度もコケることがなくなったのだ。



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沖縄などとはまた全然違う筈だけど 

南国である故郷の、洋服を絞れちゃうほど汗かきながら帰る炎天下の夏の道



家へたどり着く迄 最後のひと休みできる木陰を作ってくれた 狭い道の、ちっさな森のカーブ。



秋冬にはお気に入りのタイツ達に大量の穴を開けてくれた曲がり角は



きっと 一生の殆ど分を 

幼稚園にゆくあの2年間で先回りしてコケさせておいてくれたんだ、と 


いつからかそう思っている。



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いまの鼻歌

(私の田舎はどこにもカリフォルニア成分無いけど、その頃母が好きでよく聴いてた)


California Dreamin' / The Mamas & the Papas